頑窟王(旧偏窟王)
隠者でなくなってしまった愚者が世間を嘆き独断と偏見によりニュースを取り上げるためだけのブログ。
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幸福量定数法則
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第123回「できるなら…こんな贅沢!」


ショ・ミーンの贅沢とはナニモノか?
辞書で調べたところ
『ふさわしい程度を越える事』
『必要な程度をこえて、物事に金銭や物などを使うこと』
みたいな事が書かれていた。
まるで、金やモノを使わなければならないような言い方だが、取り合えず
『程度を越える事』とはつまり、普段よりずっと静かな環境が欲しいだとか、いつもよりずっと落ち着く状況が用意されるとか、そういう一種精神面での感覚的欲求を満たすものがあってもいいわけだ、きっと。

話が変わるが、大分前に友人と吉牛へ寄った時、
何も考えずに牛丼の並を頼んだのだ。
その時思った。(というか口に出して言った)
「いつか、ネギだくギョクという最高の贅沢をやってみたい」と。
狂牛病が懸念されてからは吉野家で牛丼を頼む事は最早あり得ないが、あの日あの時あの瞬間は確かに『ネギだくギョク』が最高の贅沢だったのだ。

時は過ぎ、現代。
食の欲求というものは無くなった。
具体的には極端な好き嫌いというモノが無くなったのだ。
美味い不味いはあっても、健康的な食事が出来る事自体が何よりの贅沢だと感じるようになった。
無くて良し、あればなお良し。
である。
(それでも米麹から作る甘酒への欲求は多少なりともあるが、
それは割と普段からやっている贅沢の一つだ)

高い金を出してまで、仏蘭西料理店やら高級料亭やらで食べる意味を理解出来なくなった。
否、昔は理解など求めていなかっただけかもしれない。
美味いと言っても、それだけではないか。
栄養と健康から考えて分不相応なお金を出すという行為が、私の精神衛生上非常によろしくない。
そんな物に金を出すくらいなら、野良猫に餌でもやって喜んでいる姿を見ている方がずっと贅沢であるように私自身は思うし、自分で仕込んだ甘酒や梅酒が一番贅沢な料理であると思う。

つまり普段から最高の贅沢をしている料理に、これはというモノは無い。

服は寒くなければ何でも良いし、広い家は落ち着かないだけだ。
カラオケ歌い放題などたかが知れているし、遊園地やゲームなんか
ずっとやっていても仕方がない。

最高の贅沢。

それはやはり、あらゆる喧騒を離れてのんびり過ごす事に限る。

人のいない川辺で、
手製の竿を造り、
ミミズを餌にして、
一日中のんびりと釣りを楽しむ。

晴れ渡る青空の元、
飛び散る滝の水飛沫、
木々や草を揺らす風に吹かれながら、
岩に座して成果を待つ。

そんな生活が、自分にとって何よりの贅沢だ。

・・・・・・・・・・・

もう一つあった。

これは割と題意にそぐう結論だと思われるが。

世界に存在する全ての本を集め、時を忘れて全て読み漁りたい。

・・・・・・・・・・・

で、あとは妹がいれば言う事なし
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